★古今亭志ん生(五代目)替り目

古今亭志ん生(五代目)

「大将、俥(くるま)差し上げましょうか」
「お前はそんなに力があるのか」

「いえ、帰(けえ)り俥ですから、お安くしておきます。乗ってくださいよ」
「やだ。でも、頼まれれば乗ってやらぁ」
「お願いします」
「俥もってこい」

「何処に行きます」
「お前が乗せたのだから、好きな所にやってくれ」
「そんな」

「何処にも行きたくない。だったら、お前の家に行こう」
「では、真っ直(つ)ぐ行きましょうか」
「家壊して真っ直ぐ行け。取りあえずかじ棒上げてみてくれ。おい、一寸待った。この家へ『こんばんは』と訪ねてくんねぇ」

「左様ですか。『こんばんは、こんばんは』」。
「開いてますよ。どうぞ。あらまぁ、へべれけで。家に入りなさい」

「この親方がお宅によっていくと言うもんですから……」
「私(あたしん)とこの人よ。いくら。何処から乗せたの」

「何処から……っていってもね、お宅の戸袋のところから。まだ車が動(いごい)ていないんです」
「お手数掛けましたね」
「いいんです。俥賃は」
「そんなこと言わず、取って下さい。そこ閉めて下さいね」

「どうして家の前から乗るの」
「頼まれたから乗ったんだ。俥賃いらないと言ったのになぜやるんだ。稼いでも金がないと思ったら、みんな俥屋にやるな」

「ずいぶん酔ってるね。お寝なさい」
「寝ない。一寸こんなことやりたい」

「これってな~に」
「酒だよ」

「そんなに飲んできて、その上飲むの。飲ませません。飲んでなければ飲ませますけれど。そんなに酔っていては飲ませません」

「飲ませません?そんな権利はお前にはあるのか。お前はこの家の何だ。かかあのくせして女房で女。俺は亭主だぞ、一軒の家では主(あるじ)が一番偉いんだぞ。嘘だと思ったら区役所で聞いてみろ」

「もう飲めませんよ」
「飲める。口から飲めなければ鼻から飲む。俺が帰(けえっ)てきたら『お帰りなさい。ずいぶんお召し上がりですが、外は外、内は内、私のお酌ではやでしょうけれど一杯召し上がりませんか』と聞かれてごらん、もうよそうよ、となるんだ。それを『飲んじゃいけねぇ』と言うんだ、百年前のトカゲみたいな顔しやがって、だから、飲む~っと言うんだ」

「そ~ぉ、ずいぶんお召し上がりですが、外は外、内は内、私のお酌ではいやでしょうけれど一杯召し上がったらどぉ」
「じゃぁ、飲もうか」。

「遅いから、何にもないよ」
「いい。何か摘むものはないか」

「鼻でも摘んだら。もう少し早かったらアブラムシが居たんだが」
「そんなものでなく、台所に行けばなにか」
「ない」
「納豆の残った35粒あっただろ」

「ありません。食べちゃった」
「顔が曲がっちゃうだろ。そーいう時は『いただきました』と言うんだ」

「いただきました」
「我慢しよう。ラッキョウは」

「いただきました」
「目刺しがあったな」
「いただきましたよ」
「もう何もないの。私がみんないただきましたから」

「香香は」
「漬けてないの」
「生でもイイ、後からぬかを食べて頭に重石を乗せておく」
「横町のおでんを買ってこようか」
「イイね。直ぐ駆け出さないで、食べたい物を聞きなさい」

「はい。何がイイの」
「俺の好きなものは”焼き”」
「焼きって何ぃ」

「焼き豆腐のことだ。や・き・ど・う・ふ、と言っていたら舌を噛むことがある。江戸っ子は”焼き”と言えば焼き豆腐だとピンとくる」

「それから」
「”ヤツ”だ」
「ヤツガシラ」

「そうだ。それに”がん”だ」
「鳥の雁だね」

「違うわい。すぐにマヌケになるね。ガンモドキ。それにお前の好きなもの買って来な」
「じゃぁ、”ペン”がいい」
「なんだそれ」
「ハンペン」

「変な詰め方するな。早く買ってきな。なんだよ、鏡台の前に座って。そんな事しなくったって良いんだ、お前なんて、頭なんか無くったって良いんだ、足と手があれば良いんだ。早く買ってこい!お多福め。買いに行っちまった……」

独り言

「この飲んだくれを世話してくれるのは三千世界を探しても、あの女房以外にないんだよ。世の中に女房ぐら有り難いものはないね。それで、器量だって悪くはないし、近所の奥さん達は『貴方の奥さんは、本当に美人ですね。貴方には勿体ないですよ』なんて、ふふふ、俺もそう思う。イイ女だな、と思うけれどそんなこと言ったらダメなんだ。脅かしたりするが、心の中では『すまないな』と思っているよ。どうしてこんな美人がもらえたのかと思うけれど、口では反対のことを言ってしまう。おかみさん、スイマセン、貴方のような美人をもらえて、陰で侘びてますよ。許して下さい。貴方みたいなイイ女を女房にもらへて勿体ないくらいだ。ん?……まだ行かないのか」。

(変わり目・替わり目)

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