嘘つき?ニトリ社長『私の履歴書』に母親激怒の真相#1792-1230/201505

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苦労人演じるニトリ社長『私の履歴書』に実母が怒る! 日経新聞連載ニトリ社長(似鳥昭雄氏)『私の履歴書』疑惑

ニトリホールディングス社長の疑惑の経歴(履歴)は、2015年4月1日から日経新聞で掲載されたもの。
貧乏な家庭で育ち、様々な苦労をした社長のストイックでシュールな半生が反響を呼んでいました。

私の履歴書に書かれた凄絶人生とは

ニトリ社長の痛々しい半生をしった苦労を知らずの若者から、「おもしろすぎる」「ウケる」「パネエ」などとの声があがった。
ある程度の人生経験を積んだ人は、「自分の至らなさを反省します」などと、ニトリ社長に学ぶ方が多かった。

「ホンマかいな?」と思うような内容もありますが、その「面白すぎる・凄い」内容をざっくり紹介すると……

極貧の家庭だったので、食べるものも食べられず、「おかわり!」などというもんなら、まるで星一徹のように激怒されひっくり返すちゃぶ台もなかったため、味噌汁を直にぶっかけ殴られた。

親が闇米(やみごめ)を売って糊口をしのいでいたもんで、当然ながらヤミの米配達も手伝わされた。配達中に同級生と行きあって憤慨した同級生から川に突き落とされ、九死に一生を得た。

北海学園大学には、カンニングして編入した。学費を稼ぐためのアルバイトは、借金取り(債権回収)。借金している連中はなかなか返してくれないためん、ヤクザのキリトリよろしく極道の格好をして凄んでいた。

卒業後、父親の会社に就職するも、盲腸炎になっても休ませず仕事させられあまりのキツさに就業放棄して脱走した(家出)

そんなニトリ社長は、『現代ビジネス』誌のインタビューに応じました。

—「私の履歴書」を読むと、波乱に満ちた人生を送ってこられたようです。あんなことが本当にあったのでしょうか。

「ええ。もちろん事実ですよ。すべて私自身がしてきた経験です」

—ご両親には、かなり厳しく育てられた。

「物心ついた頃から、おふくろにはしごかれました。ウチのおふくろは今年で96歳になるんですが、今でも元気でね。幼い頃から、日々鉄拳で気合を入れられていました。父親からも、月に一度は気絶するくらい殴られていた。とにかくウチは貧乏だったので、私が働かなければいけなかった。ちょっとでも仕事をさぼろうものなら、すぐに拳が飛んできました」

—もともと生まれは樺太で、’47年に北海道に引き揚げてきたとありますが、どのような環境で育ったのでしょうか。

「私が育ったのは、100棟ほどの長屋が集まる引き揚げ者住宅でした。各長屋には、8世帯ほどの家族が暮らしていた。長屋の床にはなにも敷かれておらず、むきだしの土だった。トイレ、炊事場は共同で、掘っ立て小屋のような場所でした」

—そんな状況の中、父親は土木会社を興し、母親はヤミ米を売って生計を立てていた。4月4日掲載分では、学校でもいじめられ、悲惨な目に遭ったと書かれています。

「そもそも当時は食糧難で、その上ウチは貧しかったので、白米だけの『銀シャリ』はとても食べられなかった。稗や粟、麦を混ぜて食べていました。おかずはサンマ一匹をみんなで分けた。

『私の履歴書』でも書きましたが、そんな家庭だったので同級生からは『ヤミ屋、ヤミ屋』と悪口も言われていた」

[出典:gendai.ismedia.jp]

倅よ、嘘ばっかこくんでねえ! と、おっかさんが叱った

ニトリ社長の壮絶な人生に、ある者は感動涙し、あるものは面白がり、またあるものは学んだ。

ところが週刊文春は、ニトリ社長を知る生き証人ともいうべき実母に、『私の履歴書』に書いてあることが本当かどうかを直接尋ねた。

日経『私の履歴書』は嘘ばかり! ニトリ社長に実母が怒りの大反論

「お、ねだん以上。」のCMで知られる、家具小売り大手「ニトリホールディングス」の似鳥昭雄社長(71)が、裸一貫から“一代”で国内外約350店舗、年商約4000億円の一大企業を築き上げるまでの半生を語ったのだ。
 だが、「あそこに書かれていることは嘘ばかり!」と厳しく批判する人物がいる。似鳥氏の実母・似鳥みつ子さん(94)である。

[出典:shukan.bunshun.jp]

「お値段以上、ニトリ~♪」のコマーシャルソングでお馴染みですが、
あのコマシャールを聴いて「お値段」という上品ないい方ではなく、「お!値段以上~」感嘆符の「お」だったと思った人ってどれくらい、いるのかしら?
と、隣のにわかオネエも口をとんがらせていましたが、この記事を読んで複雑な気持ちになった人は多いはず。

貧乏話に対して、みつ子さんは…

貧乏だったのは昭雄が6つくらいまで。ヤミ米をはじめてからは金回りが良くなったから、当時は持ってる人も少ない『三輪自動車』や『テレビ』も持っていた裕福な家庭だったという。

さらに『ニトリ創業』について。
家具屋という商売は似鳥氏自身が調べ抜き考えに考え抜いた末のアイデアだとするが、もとは父親が始めたものだという。

その他にも、多くの食い違いが存在するが、詳しいことは2015年5月21日号(2015年5月13日発売)を読んでいただくとして。
かいつまんで内容を紹介しよう。

当時を知る人は、こう証言している。
昭和42年(1965年)12月創業の似鳥家具店は、もともと有限会社柏原まごべい商店の斜向かいあった。右隣は個人電気店(札幌市北区北26条西6丁目)
店主の義雄さん、つね子さんご夫婦のあたかかい人柄と、使用人である長男の昭雄(現ニトリ社長)の日頃の素行不良なことは誰もが知ることであった。

ニトリ社長の嘘八百経歴詐称

実母のみつ子さんは、憤慨し息子の大嘘に大反論する。

・子供時代は極貧で家では殴られてこき使われていた
・学校ではいじめられっ子だった
・高校入学で校長に米一俵を届けての裏口入学だった
・カンニングにより大学編入試験に合格した
・学生アルバイトはヤクザを装っての飲み屋のツケを取り立ていた
などなど

これ、全~部、真っ赤な嘘っぱち!

大学の入学金から授業料から、すべて親が支払っていた!
それどころか、お店のカネを盗んで使っていた!などなど。
これを知って、ニトリ社長の半生に涙したじぶんが恥ずかしい!と自分を責める人続出。

これじゃあ、むかしむかし全国民が涙した、あの『一杯のかけそば』みたいなオチじゃぁありませんか。

学歴詐称や経歴詐称は、て自分を大きく見せようとしてする、いわばコンプレックス(劣等感)の裏返しなわけですが、
ニトリ社長は、創業については親に対する劣等感や嫉妬心からか自分を大きく見せてしまった。

しかし、親のスネをかじっていたぼんぼんが社長になったのでは格好がつかなかったのか、成功者のストーリーにありがちな、貧乏で悲惨で、ダメな男を演じてしまったのである。

みんな騙されて涙したり、感動したり、面白がったりしたのだから、まあ創作としては成功したのだと思います。

しかし、個人資産2,000億円もある企業の社長が、人の感心を買おうとして嘘っぱちをついて「すまんすまん」と謝って済む問題ではないでしょう。

大塚家具に続くお家騒動勃発か

実は、ニトリ社長、身内と裁判沙汰になった知られたくない過去がある。
1989年(平成元年)似鳥家具店の社長である父親の義雄氏が亡くなった際、父の残したニトリ株(時価200億円)を、相続人である共同経営の家族四人の同意なく、長男昭雄氏が独り占めの相続をしたのである。
自分が一人で大きくなったと嘯く放蕩息子のように、自分一人が裸一貫で、似鳥家具店を創業したんだ!強引に主張、エゲツない不当な手段で想像を占めにしたため、家族間の訴訟問題にまで発展したのである。

いや、未だ結論はついていない。ニトリ社長が母親の反撃にどう出るかが見ものなのである。

母親を嘘つき呼ばわりするのか、それとも謝罪し訂正するのか…
いずれにしても、ニトリ社長の言い分と、出処進退に注目したい。

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