高速道路建設に反対したお陰で道路は山の向こうを迂回したが、それから数十年、旅行客はみんな道路を利用して、この村には誰一人足を運ぶ者がない。
すっかりさびれた宿に、ある日一人の男が現れた。
「三十年前に飢えてここへ通り掛かってこの宿の主人に救われ、三十年経ったらこの宿一件を建て替えるほどの金を持って礼に来ると約束をした子供がいたはずだ。今日がちょうどその三十年目になるが、その覚えはないか」 と言う。
家内に尋ねると確かにそんなことがあった。生活の苦しいところへ、大金を持って礼に来たのだから、夫婦そろってその客に挨拶に行く。
「まあ、確かにあの時の子供だ。今でも面差しがそのまま残っていますよ」
「いいえ、私は代理の物です。本人がどうしても来られないので。お礼をしたいのですがまだそれほどの蓄えがありませんのでお礼ができませんので、どうかよろしくとの伝言です」
「あらァ、父ッつぁま、礼はないんだとよ」
「当たり前だ。昔から礼(零)はゼロに決まっている」
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