プロフィール
4代目三遊亭圓遊(明治35年(1902年)2月12日 – 昭和59年(1984年)1月9日)は東京都中央区京橋越前堀出身の落語家である。
生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。
出囃子は『さつまさ』。
日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。
その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、大正11年(1922年)11月に6代目雷門助六に入門し音助となる。
大正13年(1924年)春頃に二つ目に昇進し、おこしと改名。
大正15年(1926年)5月、6代目都家歌六を襲名し真打に昇進。
その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、昭和5年(1930年)頃に柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。
その後戦争により花柳界が禁止されたため、昭和18年(1943年)に2代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。
戦後、昭和21年(1946年)に4代目に三遊亭圓遊を襲名。
落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。
芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。
楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。
古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。
得意ネタは『野ざらし』『堀の内』『幇間腹』『味噌蔵』など。
昭和55年(1980年)10月5日に愛弟子の4代目三遊亭小圓遊に先立たれるという不幸に見舞われ高座からも遠のき、引退同然のまま昭和59年(1984年)1月9日に亡くなった。享年81。
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