★古今亭志ん生(五代目)抜け雀

古今亭志ん生(五代目)

あらすじ

小田原宿に現れた若い男。
色白で肥えているが、風体はというと、黒羽二重は日に焼けて赤羽二重。
紋付も紋の白いところが真っ黒。
袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人。

男は悠然と
「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」
と、大きなことを言う。
案内すると、男は、おれは朝昼晩一升ずつのむと、宣言。

その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけ。
こうなるとそろそろ、かみさんが文句を言いだした。
危ないから、ここらで内金を入れてほしいと催促してこいと、気弱な亭主の尻をたたく。

ところが男
「金はない」
「だってあなた、百両預けようと言った」
と泣きつくと
「そうしたらいい気持ちだろうと」

男の商売は絵師。
「抵当(かた)に絵を描いてやろうか」
と言いだし、新しい衝立に目を止めて
「あれに描いてやろう」
それは、江戸の経師屋の職人が抵当に置いていったもの。

亭主をアゴで使って墨をすらせ、一気に描き上げた。
「どうだ」
「へえ、何です?」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ。雀が五羽描いてある。一羽一両だ」

これは抵当に置くだけで、帰りに寄って金を払うまで売ってはならないと言い置き、男は出発。
とんだ客を泊めたと夫婦でぼやいていると、二階で雀の鳴き声がする。
はて変だとヒョイと見ると、例の衝立(ついたて)が真っ白。

どこからか雀が現れ、何と絵の中に飛び込んだ。
これが宿場中の評判を呼び、見物人がひっきりなし。
ある日、六十すぎの品のいい老人が泊まり、絵を見ると「描いたのは二十五、六の小太りの男であろう。
この雀はな、死ぬぞ」亭主が驚いてわけを聞くと、止まり木が描いていないから、自然に疲れて落ちるという。
書き足してやろうと硯を持ってこさせ、さっと描いた。

「あれは、何です?」
「おまえの眉の下にピカピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。これは鳥かごだ」

なるほど、雀が飛んでくると、鳥かごに入り、止まり木にとまった。
老人、「世話になったな」と行ってしまう。

それからますます絵の評判が高くなり、とうとう藩主・大久保加賀守まで現れて感嘆し、この絵を二千両で買うとの仰せ。
亭主は腰を抜かしたが、律儀に、絵師が帰ってくるまで待ってくれと売らない。
それからしばらくして、仙台平の袴に黒羽二重という立派な身なりの侍が

「あー、許せ。一晩やっかいになるぞ」
見ると、あの時の絵師だから、亭主は慌てて下にも置かずにごちそう攻め。
老人が鳥かごを描いていった次第を話すと、絵師は二階に上がり、屏風の前にひれ伏すと

「いつもながらご壮健で。不幸の段、お許しください」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親。

「へええっ、ご城主さんも、雀を描いたのも名人だが、鳥かごを描いたのも名人だと言ってましたが、親子二代で名人てえなあ、めでたい」

「何が、めでたい。あー、おれは親不孝をした」

「どうして?」

「衝立を見ろ。親をかごかきにした」

メモ

【駕籠かき】
普通、街道筋にたむろする雲助、つまり宿場や立て場で客待ちをする駕籠屋のことです。
「親に駕籠を担がせた」と相当に悪く言われ、職業的差別を受けていることで、この連中がどれだけ剣呑で、評判のよくない輩だったかが知れます。落語として発達したのは上方で、東京では五代目志ん生の、文字通りワンマンショーです。
何しろ、明治以後、志ん生以前の速記、音源は事実上ありません。
わずかに「明治末期から大正初期の『文芸倶楽部』に速記がある」というアイマイモコ、いい加減極まりない記述を複数の「落語評論家」の先生方がしていますが、明治何年何月号で、何という師匠のものなのかは、ダレも知らないようです。
つまり、大阪からいつごろ伝わり、志ん生がいつ、誰から教わったのか、ご当人も忘れたのか言い残していない以上、永遠の謎なのです。

要は志ん生が発掘し、育て、得意の芸道ものの一つとして一手専売にした、「志ん生作」といっていいほどの噺ですから、他門の落語家はちょっと手を出せません。
当然ながら、速記、音源とも、志ん生がほとんど総ざらいで、東京の噺家では子息の十代目金原亭馬生、古今亭志ん朝兄弟が「家の芸」として手掛けたくらいです。
まさに親子相伝。

志ん生の「抜け雀」の特色は、芸道ものによくある説教臭がなく、「顔の真ん中にぴかっと」というセリフが、絵師、神さん、老人と三度繰り返される「反復ギャグ」を始め、笑いの多い、明るく楽しい噺に仕上げていることでしょう。

特に「火焔太鼓」を思わせる、ガラガラのカミさんと恐妻家の亭主の人物造形が絶妙です。
故・志ん朝は、「志ん朝の落語・6」(ちくま文庫)解説で京須偕充氏も述べている通り、父親の演出を踏まえながら、より人物描写の彫りを深くし、さらに近代的で爽やかな印象の「抜け雀」をつくっています。
古今亭志ん朝「抜け雀」

ぜひCDで聞き比べてみてください。
「本場」大阪の「雀旅籠」大阪の「雀旅籠」は、舞台も同じ小田原宿ということも含め、筋や設定は東京の「抜け雀」とほとんど違いはありません。
*出典:落語あらすじ事典 千字寄席:http://senjiyose.cocolog-nifty.com/

コメント

タイトルとURLをコピーしました