更新履歴
2016年06月23日(木):初投稿
2026年05月12日(火):重信房子の判決確定・服役・出所情報に更新。テルアビブ空港事件の正式名称を補足。解散宣言の時期・経緯を修正。
- 実録!!日本警察の秘密組織…極秘捜査官ZERO
- 「日本赤軍逮捕」
- コードネーム「ZERO」
- 「公安」
- 「日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」
- 日本赤軍とは
- 「密入国している可能性がある」
- 追及班6人の闘い
- 過酷な公安の任務
- マークした数は数百人に
- 鍵を握る人物「坂田孝一(仮名)」
- 坂田に不審な行動が……
- 「作業玉」
- 「作業玉」獲得の一例
- 作業玉からの坂田の情報
- 「絶対にあきらめるな!」
- 「誰かを匿っている可能性があります」
- 坂田と共に現れた中年女性
- 「重信房子」
- 「外事警察」
- 「本人の可能性が限りなく高い」
- 重信房子のタバコの吸い方
- 完全秘匿の尾行の方法
- 「重信と同じです」
- 恐れていた事が……
- 「このチャンスを逃すな!」
- 「あとは、表の奴らの仕事だ」
- 「……はい、そうです」
- 「10年か……セミより長かった」
- 裁判と判決
- 日本赤軍の解散と逃亡メンバー
実録!!日本警察の秘密組織…極秘捜査官ZERO
「日本赤軍逮捕」

2000年11月8日、世界の報道はアメリカ大統領選「ブッシュ対ゴア」一色だった。
しかしこの日、日本では急遽、トップニュースが差し替えられた。
「日本赤軍逮捕」
70年代から80年代にかけて世界を震撼させた国際テロ組織「日本赤軍」。長年、潜伏先さえ把握されていなかったその幹部の一人がついに逮捕された。数々の重大事件を引き起こしたテロ組織を解散へと追い込んだ歴史的な逮捕劇だったが、地球上のどこに潜伏しているかさえ分からない彼女を、どうやって警察は探し当てたのか。
コードネーム「ZERO」
全ての始まりは、逮捕の10年前に下された「日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」という極秘指令だった。
「日本に密入国するという保証はなく、どこへ隠れるかも分からない、それでも捕まえなければならない」——不可能を可能にした、正にミッションインポッシブルな作戦。そこには、犯人逮捕の際に報道陣の前に姿を現す表の捜査官とはまったく別の、6人の裏の捜査官が存在していた。
彼らに極秘指令を下したのは、警察内ですらその任務を知る者はほとんどいないという秘密の組織・コードネーム「ZERO」。これは、秘密組織「ZERO」の指令によって10年の歳月をかけ赤軍幹部を追い込んだ捜査官たちの、壮絶な逮捕劇である。
「公安」

「公安」とは、公共の安全を維持するために設けられた警察内の一部門だ。各都道府県の警察に設置されており、事件が起きてから捜査するのではなく、日本の安全を脅かすテロなどの大事件を未然に防ぐために、危険な団体の動きを日々追跡している。捜査内容は機密性が重視されることから、全てが解決しても公表されることはないという。

そんな厚いベールに包まれた公安の中でも、特に秘密性の高い捜査を担う組織が「ZERO」。「ZERO」とは通称であり、その名称の部署が正式に存在するわけではないとされる。この逮捕劇を始め、数々の事件を調査し長年公安を研究してきた作家・麻生幾氏の証言に基づき、知られざる「ZERO」の捜査の実態に迫った。

本来は決して明かされることのない事実だが、麻生氏がカメラのインタビューに特別に応じた。

Q.「極秘の指令をどのように取材されたのですか?」
麻生氏)「取材の方法については言えません。ただ、とにかく重要なことは、オウム真理教の事件にしかり、グリコ森永事件にしかり、(私が)あらゆる情報を徹底的に勉強していることを、(公安)関係者の方に理解してもらえるかどうかです」
麻生氏の証言によると、「ZERO」は全国の警察を束ねる警察庁の警備局という部署内に存在するという。
「日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」
1991年夏、「ZERO」の幹部がある場所へ向かった。大阪府警本部でも所轄でもなく、府警本部の近くにある古い雑居ビルの一室——倒産した企業から大阪府が買い取ったそのビルの302号室が、今回活躍する男たちの作業拠点となった。
召集がかかった大阪府警の公安課に属する6人の捜査官たちに下された指令は——
「一度しか言わない。日本赤軍を日本国内で逮捕せよ」
日本赤軍とは

日本赤軍は、学生運動から派生した過激派集団の一つで、世界各地で多数の無差別テロ事件を引き起こした。共産主義革命という過激な政治思想を背景に、1972年5月30日にはイスラエルのテルアビブ近郊・ロッド国際空港で乱射事件を引き起こし、24人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。

さらに1977年には、パリから羽田空港に向かう日航機をハイジャック。


バングラデシュのダッカ国際空港に強制着陸させると、乗客・乗員151人を人質にとり、当時服役中だった赤軍メンバーの釈放を要求。人命を優先した日本政府は超法規的措置で6名の服役囚を釈放した。治安を守るべき立場の警察にとって、この結末は屈辱だった。
「密入国している可能性がある」
その後も逃亡を続ける幹部を、警察は捕まえられずにいた。彼らは潜伏先のパレスチナで現地ゲリラから英雄視され、守られていたからだ。しかし1991年に勃発した湾岸戦争でアメリカを主力とする多国籍軍が中東に展開すると、潜伏先として最適な環境は失われた。
「日本赤軍の幹部が密入国している可能性があるとの情報が入った」——そこで警察が新たな活動拠点として目をつけたのが日本だった。かつて安保闘争などの学生運動に参加していた人間、日本赤軍にとって支援者になりうる存在が最も多い場所でもある。
追及班6人の闘い
政府が日本赤軍幹部の帰国を極めて恐れた背景には、当時の国内情勢があった。オウム真理教が危険なテロ集団に変貌しつつある中、カリスマ性のある赤軍指導者が帰国して麻原彰晃と連携し、大規模テロを企てる可能性を排除できなかったのだ。
捜査の拠点となったのは、日本赤軍の支援者が多い大阪。「ZERO」の指令を受けた追及班6人の闘いが始まった。
「奴らは、いつ密入国し、どこに隠れるかもわからない。だがそれでも、捕まえなければならない。日本赤軍の支援者になりそうな人間を徹底的に視察(マーク)しろ。もし幹部が密入国したら、匿うのは彼ら支援者だ」「潜伏場所を突き止め監視、指紋など逃亡犯である証拠を掴む。これまで視察しなかったような人間まで、徹底的にすべて突き上げろ。君たち追及班にかかっているぞ」「わかっているだろうが、この作業はたとえ同僚の警察官にも他言無用だ」
過酷な公安の任務
同僚の警察官のみならず、最愛の家族にさえも話すことはできない。3日間も自宅に帰らず、妻から浮気を疑われても、本当のことを釈明できない。在職中10年にわたり公安として勤めた元警察官・犀川博正氏に話を聞いた。

犀川氏)「家族にも捜査の内容は話せません。人に話すということは、組織を裏切ることになるし、仲間を裏切ることにもなるからです」
マークした数は数百人に

日本赤軍の支援者になる可能性があるのは、かつて学生運動に参加していた者たち。当時、日本中に2万人以上はいたという。犀川氏によると、警察は1960年代末から活発化した学生運動の参加者をほぼすべて把握していたという。
「もちろん把握していました。1960年代末から学生運動が活発に行われていたので、どういう連中が学生運動をやっているのかという時に、ほぼ全て、警察は彼らの身元を特定することはできたと思います」
しかし、いつもは普通の生活をしている者も多く、支援者かどうか簡単には見分けがつかない。追及班にできることは、膨大な数の候補者を徹底的に見張ることだった。マークした数は数百人にのぼり、6人が同時進行で、長期間、一人当たり何人も追い続けた。
鍵を握る人物「坂田孝一(仮名)」
膨大なリストの中に、鍵を握る人物が一人いた。最初は、一人の捜査官がリストアップした何十人もの対象者の一人にすぎなかった。坂田孝一(仮名)、30代の公務員。日本赤軍との接触は確認されていないが、学生時代に大学寮の賃上げ反対闘争に参加し、公安のリストに名前が載っていた。
勤務態度も真面目で人付き合いも良く、問題は見当たらない。「日本赤軍と関係があるとは思えない」と班長は感じたが、対象から外すことはしなかった。テロリストは警察にマークされていない支援者を好む可能性が高いからだ。この時点で、赤軍逮捕の指令が下ってからすでに5年が経過していた。
坂田に不審な行動が……
5年が経った1996年のある日、マークしていた坂田の行動に変化が現れた。お盆や年末年始などの休みのたびに、中国へ渡航を重ねているのだ。日本赤軍の政治的拠り所である共産主義を掲げる国に何度も出向いていた。班長は坂田のマークを強化するよう指示を出した。
さらに坂田に不審な行動があった。たびたび銀行でドイツマルクを買い求めていた。統一間もない当時のドイツには日本赤軍と同じ思想を持つ過激派集団も存在し、ドイツマルクは活動資金として流通させやすかった。「旅行先は中国、買う紙幣はマルク——仮にそいつが支援者だとしたら、中国で日本赤軍に接触し、活動資金としてドイツマルクを渡しているとか……」
「作業玉」

尾行を続けているうちに、坂田はかつて公安がマークしていた左翼系の集会にも参加していた。集会への潜入は顔を覚えられるリスクがある。そこで班長は別の手段を選んだ——「作業玉」だ。
作家の麻生氏によると、「作業玉」とは、情報を提供するだけでなく、捜査官の意図どおりに行動してくれる協力者を指す。「ZERO」の極秘指令を遂行するうえで協力者の獲得は極めて重要な仕事であり、長期間の地道な関係構築が必要だという。
「作業玉」獲得の一例
まず、どんな情報を集めたいかによって、それまでの人脈を使い、作業玉にふさわしい人物を選定する。左翼思想の映画上映会に顔を出すなど、些細なきっかけで接触を試みる。当然、警察官という身分を隠して親しくなる。時間をかけて協力者に相応しい人間かどうかを探り、こちらを裏切らないと確信を持てたら、信頼関係を構築したのちに相手の弱みや困りごとを徹底的に探る。
たとえば「借金」。そこに救いの手を差し伸べ、信頼させる。その後も何かにつけて困っているとサポートを続け、関係が固まったところで身分を明かす。ターゲットは驚きつつも、これだけ親身になってくれた相手に応えたい一心で心を開く——1年以上かけて関係を構築することもある。
麻生氏——「作業玉というのは、公安の協力者運営担当官(捜査官)と同じ考えが出来て、思う通りに動いてくれる存在、いわば分身のような固い信頼関係で結ばれている。だから、時に1人の作業玉を獲得するのに10年を費やすこともあります。だからこそ、日本赤軍の指揮官を国内で逮捕するこの作業は、慎重に時間をかけたのです」
作業玉からの坂田の情報
指令から6年の1997年、作業玉からある情報が入った。坂田は、指令と同時期の1991年に結成された日本赤軍の活動を支援する団体のナンバー2だというのだ。つまり坂田は、幹部と接触している可能性があった。しかし他に不審な点はなく、日本赤軍幹部の密入国は確認できず、指令から7年の月日が経過していた。
「絶対にあきらめるな!」
指令から7年が経った1998年年末、追及班はささやかな打ち上げをしていた。「俺たちのやってることって、意味があるんでしょうか? どんなに調べたところで、日本赤軍の幹部が密入国しなければ何にもならない。もうここに来て7年ですよ」
大学時代は応援団に入っていた熱血漢の班長が一喝した。「お前ら間違ってる! 奴らは既に日本に入ってるんだよ! 俺たちの視線内に入ってないだけだ!」「絶対にあきらめるな!」しかし、赤軍幹部の入国は8年経っても9年経っても確認できず、時は流れた。
「誰かを匿っている可能性があります」
2000年5月、マークしていた坂田に動きがあった。5月末から翌月にかけて、彼は銀行のATMで定期的に現金の振り込み作業を行っていた。家族への送金でも自身のクレジット引き落としでもない——捜査官の一人が言い切った。「誰かを匿っている可能性があります」
振込先を特定する必要があったが、秘密捜査ゆえ銀行の協力は得られない。そこでベテラン刑事が「横目技術」を使った。坂田が振り込みをする機械の隣に立ち、正面を向いたまま、ATMで操作する坂田の手の動きを視野180度以上で捉える。熟練した公安捜査官が持つ、目を動かさずに広範囲を視認する技術だ。
坂田と共に現れた中年女性
振込先は、とあるマンションの管理会社だった。さらに坂田が管理会社を通じて401号室の賃貸料を支払っていることも確認された。坂田の家族とは無関係の部屋——誰かをかくまっている可能性が高まった。
追及班は向かいの部屋を視察拠点とし、401号室の出入りを24時間ビデオカメラで監視した。しかし、どれだけ待てども誰も現れない。張り込んでから10日が経ったその日、坂田が現れた。そして直後、薄いサングラスをかけてバッグを持った中年女性が姿を見せた。坂田は何度となくその女性に頭を下げており、その様子は明らかに異様だった。
「あの女が見せた笑顔の口元、見覚えがある……重信房子!」「昔の面影がある。重信が好んで履いた黒のパンタロンなど、服装の趣味も同じだ」
「重信房子」

日本赤軍リーダー「重信房子」。明治大学に在籍中に学生運動に参加し、赤軍派と呼ばれる過激派に加わった。内部での権力闘争に嫌気がさし、1971年、仲間と共に日本を脱出して中東に渡り、「日本赤軍」を結成した。
彼女がリーダーとなって統率すると、それまで殺人などには手を染めていなかった男子学生や若者たちが、とたんに殺人集団と化した。計り知れない影響力を持つ、最強の女テロリストだった。
「外事警察」
公安部門のうち国外捜査を担当する「外事警察」は、以前から重信逮捕を目指して海外で極秘作戦を展開していた。アテネに重信が現れると聞けば、捜査官が現地のレストランで実際に働きながら1年間も潜入捜査を行った。結局、重信房子は現れず徒労に終わったが、こうした苦労は一つや二つではなかった。
「本人の可能性が限りなく高い」
逃亡から30年、かつての重信の写真と監視カメラに映った女性を比較したが、あまりの変わりように同一人物とは認識し難かった。撮影された写真は警察庁の「ZERO」本部にも送られ、すぐに警察庁国際テロ対策室と科学警察研究所で顔認証分析が行われた。結果は「本人の可能性が限りなく高い」だった。

重信房子のタバコの吸い方
しかし指紋など、さらに決定的な証拠が必要だった。完全秘匿の捜査ゆえ、「ZERO」の作業員たちはドラマの刑事のように被疑者の住所に近づくことはしない。被疑者と遭遇する可能性が1%でもあれば、その行為は一切やらない。時間がかかろうとも、相手に「におい」を感じさせたら全てが終わる——麻生氏はそう証言する。
そんな時、追及班に作業玉から通報が入った。重信房子のタバコの吸い方についてだった。彼女はタバコを吸う時、「パイプを吸うように手のひらを上に向ける」クセがあるというのだ。
「中年女性の追尾(尾行)を開始しろ」「焦るな! 追尾の目的を取り違うな。あくまで視察下におき、所在を見失わないため。そして、絶対に気づかれてはならん」「我々が狙っている『におい』が少しでも感じられたら、日本を出ちまう。すべてが水の泡だ」
完全秘匿の尾行の方法
完全秘匿の尾行には、いくつかの約束事がある。相手が振り返るなど少しでも気にしたら、その時点で尾行は中止。刑事ドラマで見るものとは全く違う方法だ。尾行の間隔は最低100m——それを可能にするために、捜査官たちは被疑者の周囲を取り囲む形で配置される。前を歩く者、100m後ろを歩く者、反対側後方から歩く者、反対側をすれ違う者。単眼鏡を一瞬だけ使って見失いかけた対象を確認することもある。顔ぶれを小刻みに変えながら、10人以上、時には100人以上で尾行することもあるという。
「重信と同じです」
尾行を始めて10日、依然として決定的証拠はつかめていなかったが、中年女性がタバコを取り出して吸い始めた。その吸い方は、パイプを吸うがごとく手のひらを上に向けていた。「重信と同じです」——この瞬間、全員が確信した。
恐れていた事が……
残された任務は指紋の確認だったが、採取のタイミングはなかなか訪れない。外出の機会がめっきり減り、チャンスは激減した。そんな中、恐れていた事態が起きた。女を見失ってしまったのだ。
「きっとまた、マンションに戻ってきますよ」「そうとは限らん、他の支援者のところに移った可能性だってあるんだ」——捜査は10年目に突入しているが、決定的な証拠はつかめないまま、尾行にも失敗した。
「このチャンスを逃すな!」
「焦るな、あきらめるな! 彼女が重信なら、30年逃げ続けている。気持ちで負けたら勝負は終わりだ! 必ず401号に戻ってくる。視察を続けるんだ!」——見失ってから3日後の2000年11月7日、中年女性はマンションに戻ってきた。
外出した彼女の手には缶コーヒーがあった。3人の捜査官で尾行を開始した直後、中年女性はその缶コーヒーをゴミ箱に捨てた。「空き缶、回収」——回収された缶は直ちに大阪府警本部に運ばれ、鑑識課が指紋の分析を始めた。
その後も尾行を続け、午後6時、彼女は高槻市のホテルにチェックイン。日付が変わった午前2時、指紋が警察に保管されていたものと一致した。中年女性は重信房子——偽装結婚のため本名は奥平房子——日本赤軍の最高幹部だった。
「あとは、表の奴らの仕事だ」
「明朝、チェックアウトを待って被疑者を確保せよ」——最大のクライマックスとも言える逮捕の任務を担ったのは、「検挙班」と呼ばれる捜査官たちだった。「ZERO」の指令を受けた追及班はあくまでも裏の人間。最後まで完全秘匿が求められた。「俺たちはあくまでも裏の人間よ」「あとは、表の奴らの仕事だ」
「……はい、そうです」
2000年11月8日午前10時半、ホテルのロビーに重信が現れた。拳銃を所持している可能性があり、市民への危害を避けるため、捜査官たちは人気のない場所に移動するのを待った。その瞬間——「よし、行くぞ!」重信を囲む捜査官たち。「奥平だな」「違う……」「奥平だな」「……はい、そうです」
2000年11月8日、重信(奥平)房子逮捕。

こうして、重信房子の30年近い逃亡生活は終わった。逮捕後、意気消沈するでもなくガッツポーズを見せた彼女の心理は、いかなるものだったのだろうか。
「10年か……セミより長かった」
その頃、あの6人の男たちはマンションを見張っていた部屋で、逮捕の知らせを受けた。「重信房子を確保した」「よしっ!」「君たちのおかげだ」「10年か……セミより長かった」「そろそろ俺も引退するか」
捜査官たちが見張っていたあのマンションからは、パソコンやフロッピー、7台の携帯電話、2冊の偽造パスポートが押収された。その後の調べで、重信は逮捕の2ヶ月前に関西国際空港から偽造パスポートで密入国していたことが判明した。取り調べでは一切を黙秘したが、帰国の目的は国内での新たな活動模索と、国外に逃亡中の他メンバーの帰国を画策することだったと見られた。
裁判と判決
実行犯として立証されていたのはオランダ・ハーグのフランス大使館を武装占拠したハーグ事件(1974年)のみで、検察はこの事件に関して殺人未遂罪などで重信を起訴した。裁判で重信は一貫して無罪を主張し続けたが、2010年7月、最高裁が上告を棄却して懲役20年の判決が確定した。判決では「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命・身体への危険を意に介さない身勝手な犯行」と断じられた。
服役中に大腸がんなど4度の手術を受け、東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)に収容されていた重信は、2022年5月28日に刑期満了を迎えて出所した。出所後の会見で「闘いの中で無辜の人たちに被害を与えた。おわびします」と述べ、今後は治療と講演・執筆活動に専念する意向を示した。
日本赤軍の解散と逃亡メンバー
2001年4月、重信は獄中から日本赤軍の解散を宣言し、組織もこれを追認した。しかし警察庁は「テロ組織としての危険性が消えたとはみられない」との立場を維持しており、ダッカ事件などに関与したとされるメンバー7人は2022年時点でも国際手配が継続されている。
長年の苦労が実り、日本赤軍のリーダーを逮捕に追い込んだ裏の捜査官たち。
麻生氏——「重信服役囚を逮捕できた最大の理由は、赤軍の幹部は必ず日本に再上陸していると確信し、そして日本のために彼らを逮捕するという強い意志を、現場が10年間も持ち続けたことです」
(了)
[出典:2016年6月23日放送「奇跡体験!アンビリバボー」]
文責:ライターズラボ編集部(2026年05月12日(火)22:50執筆)


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