出入りの鳶頭(とびのかしら)が店に年始に行くと、だんなが子供たち相手にカルタをやっている。
鳶頭はカルタなど見たことがないので珍しく、あれこれトンチンカンなことを言うので、だんながウンチクをひけらかして、ご説明。
洗い髪で、大層ごてごてと着物を着ている女がいると言うと、それは下げ髪、着物は十二単(じゅうにひとえ)で、百人一首の中の右近(うこん)と教えられる。
同じような女が二人いるが、赤染衛門(あかぞめのえもん)に、紫式部。
赤に紫に黄色(鬱金色=右近)で、まるで紺屋の色見本のよう。
紫とやらいう女の歌が、
「巡り逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」
誰かに逢いたいと神に願掛けしている歌だと聞いて
「そりゃ合羽屋の庄太ですよ。借金を返しゃあがらねえ」
「おまえの話じゃないよ」
太田道灌が
「急がずば濡れざらましを旅人の跡より晴るる野路の村雨」
弘法大師の歌が
「忘れても酌みやしつらん旅人の高野の奥のたま川の水」
これは六玉川のうち、紀州は高野山の玉川の水は毒があるため、のまないよう戒めた歌だというので、
鳶頭、親分が大和巡りに行くから知らせてくると飛び出す。
「それで、その歌はなんだ」
「忘れても酌みやしつらん旅人の、跡より晴るる野路の村雨」
「それじゃ尻取りだ。下は『たかのの奥の玉川の水』というんだろ」
鳶頭、先に言われたので癪なので揚げ足を取ろうと
「親分、タカノじゃなくてコウヤでしょう」
「同じことだ。仏説にはタカノとある」
またへこまされたので、それではと
「ごまかしたって、こっちにゃ洗い髪の女がついてるんだ。
じゃ、こんなのはどうです?
「『巡り逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな』
さあ驚いたろう」
「驚くもんか。それは誰の歌だ?」
「ナニ、着物であったな、鳶色式部だ」
「鳶色式部てえのはない。紫だろ」
「紫と鳶色は昔は同じだったんで。これは仏説だ」
「そんな仏説があるか。大変に違わあ」
「へえ、そうですか。それじゃ紺屋が間違えたんでしょう」
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