ネタバレあり 本書の着眼点と、作品の仕掛けに関する説明に触れます。
おかしいと分かっているのに、建物として見えてしまう。エッシャーの絵の不思議は、不可能な形が描かれていることだけではない。その形を、いったん自然な風景として受け入れてしまうところにある。近藤滋『エッシャー完全解読 なぜ不可能が可能に見えるのか』が追うのは、まさにその問題だ。屋根の高さ、人の大きさ、見えない床。目立つ仕掛けの周囲へ視線を移すと、背景だと思っていたものまで怪しくなる。
不可能図形の名前を覚えても、絵の謎は残る
ペンローズの三角形を使った絵だ、と分かれば説明が終わった気になる。しかし、錯視図形を紙に描くことと、建物や風景として自然に見せることの間には、まだ作業が残っている。本書は《物見の塔》《描く手》《上昇と下降》《画廊》《滝》を通して、その作業を調べる本である。
まず区別したいのが、遠近法と平行投影だ。遠近法では、同じ大きさの物でも遠くにあるほど小さく描かれる。平行投影は奥行き方向にも大きさを保つ描き方で、設計図などに使われる。立体らしい線があるからといって、両者を同じ規則として扱うことはできない。

近藤が著者インタビューで説明する難しさは、不可能なつながりを、遠近法の効いた画面の中で成立しているように見せることだ。拡大・縮小の規則を加えれば、接合のおかしさが露出することもある。そこをどう見せ、どこから注意をそらすか。図形を知ったあとに、改めて絵を見る必要がある。
《物見の塔》の人と屋根は、背景ではなかった
本書の考え方をつかむには、《物見の塔》をめぐる近藤の説明が分かりやすい。著者が気に留めたのは、部分的に高くなっている屋根だった。インタビューでは、奥にある部分が小さく見える問題を、建て増しが補っていると説明する。建築上の飾りに見えた違いが、画面を成立させる調整として読めるのである。
人も同じだ。人が立っていれば、その背丈を使って建物の規模を見積もりたくなる。近藤は、画面の人物の大きさを比べ、遠近法に従うはずの縮小がどう扱われているかを問う。建物だけを目でなぞっていたときには、人物が別の情報を与えていることに気付きにくい。

さらに、牢の人物と床の関係を追うと、見えている体から当然だと思っていた位置関係が怪しくなる。著者が扉を起点に床をたどる説明は、人物を眺める見方から、人物が立つはずの場所を確かめる見方への切り替えだ。絵の表面に見える形だけでなく、描かれていない部分まで検討することになる。

この模式図の二つの線は、隠れた部分だけが違う。見える端がつながっているからといって、壁の向こうまで一直線だと決まるわけではない。自然に見えるという感覚には、見る側が補った部分も含まれている。その補い方を疑うと、画面の人物や壁が担う役割を考えやすくなる。
《描く手》を見るなら、手だけでなく影を見る
《描く手》と聞くと、互いを描く二つの手の関係へ目が向く。本書が別に取り上げるのは影である。出版社が公開した目次にも、第3章の論点として影が掲げられている。目立つ逆説に気を取られて、立体感を支える暗い部分を見過ごしていないか、という問いになる。

図4は、遠い光源からの平行な光を想定した単純な例だ。影の向きを追えば、どちらから照らされていると受け取ったのかを確認できる。実際の作品では床面、光源の距離、物体の向きなども関係するので、図と違う影をすべて誤りと決め付けることはできない。それでも「影があるから立体的だ」で止まらず、何を手がかりに立体だと思ったのかを確かめる練習にはなる。
本書のおもしろさは、絵にだまされた自分を責めるところにはない。手や建物を見るために必要だと思っていなかった部分が、見え方を支えている。その働きを見つけると、見る対象そのものが増えるのである。
《上昇と下降》《滝》は、全体のつながりを追いたくなる
階段を一周する間、ずっと上っているのに出発点へ戻る。水が落ちたあと、水路を進んでまた落ちる位置へ来る。どちらも、短い区間を見れば理解できそうなのに、全体をつなぐと困る構造だ。本書は、階段の周囲の建築や滝壺の位置など、中心の仕掛け以外にも注目させる。

図5は作品の再現ではなく、同じ場所へ戻るときの高さの条件を表している。三つの区間で高さが1ずつ増えれば、残る区間で3下がらなければ出発点には戻れない。一周のどこにも下りがない、と感じるなら、どこで位置関係を読み替えたのかを探すことになる。
だから、階段や水流だけを追う読み方と、周囲の建築や人物をいったん外して考える読み方を行き来したい。周囲の物を頭の中で消したとき、同じ立体として見えるだろうか。自然に見せていた要素がなくなることで、つなぎ目への疑問がはっきりすることがある。
《画廊》の空白を、見えないまま済ませない
《画廊》について、本書が問いにするのは中央の空白である。画面の中と外がどう関係し、どこで連続していると判断するのか。ラボの既存記事にもあるドロステ効果と併せて考えると、枠を越えて同じ世界へ戻る見え方に注目できる。ただし、《画廊》の仕組みを、同じ絵が小さく繰り返されるだけだと説明してしまうのは避けたい。

図6は、その区別を考えるための単純な再帰のモデルだ。ここでは、枠の外側と内側を順に追える。一方、作品を見る際には、どこで尺度や向きが変わると感じるか、空白の周囲がどうつながって見えるかを、自分で確かめる必要がある。図が答えを代わりに示すのではなく、見る順番を決める補助になる。
関連する見え方は、ドロステ効果を扱ったラボの記事でも紹介している。本書の図版と照らし合わせるときは、似ているという印象と、同じ構造だという説明を分けておきたい。
種明かしのあとに、描いた人の工夫が残る
仕掛けが分かると、作品を見る楽しみが減るのだろうか。近藤は公開された「あとがき」で、トリックを知ったことで、むしろエッシャーへの関心が増したと述べている。ここでの解読は、驚きを否定するためではない。どんな制約があり、何を足したり隠したりして、その驚きを成立させたかを考える作業だ。
自然に見えるという感想の中には、線の規則、人物の尺度、遮蔽物、影、注意の向け方がまとめて入っている。分けて見れば、ただ変な絵だったものが、選択の積み重ねとして見え始める。作者が説明を残していない部分では、近藤の読み解きも作品から組み立てた解釈として受け止めたい。そのうえで、どの線が説明を支えるのかを、自分でもたどれることが本書の魅力である。
6枚の模式図を見たあとには、もう一度、本書の作品図版へ戻りたい。「どこがおかしいか」に加えて、「なぜ、そこ以外はおかしく感じなかったのか」。その問いを持つと、階段の脇の屋根や、窓の人物まで確かめたくなる。
『エッシャー完全解読』の書籍情報
広告・書籍紹介
- 書名:『エッシャー完全解読 なぜ不可能が可能に見えるのか』
- 著者:近藤滋
- 出版社:みすず書房
- 発行日:2024年12月10日
- ページ数:208ページ
- 電子書籍の配信開始日:2025年11月19日
作品の図版と細部の検証は、本書で見比べながら読むのに向いている。この記事の図は、遠近法や隠れた部分を考えるための編集部作成の模式図であり、本書の図版や作品を写したものではない。
参照:みすず書房の書籍紹介・目次/著者インタビュー「エッシャーのトリックに気付いてしまった。」/著者「あとがき」公開部分
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