ネタバレあり ここから事件の状況、捜査中の発見、前作から続く人物の変化に触れます。
遺体のそばに、林檎が一つ置かれている。麻見和史『凍結事案捜査班 時の残像』は、そんな異様な現場から、13年前の未解決事件へと遡る警察小説だ。ただ、過去を追うという言葉は便利すぎる。事件が起きた年月を特定することと、その間を生きてきた人の事情を知ることは違う。この隔たりに注目すると、題名の「残像」が、単なる昔の記憶とは違うものに見えてくる。
林檎一つで、遺体の見え方が変わる
東京・西大井で、腹を裂かれ、上半身が血に覆われた遺体が発見される。そのそばにあるのが林檎だ。刑事の藤木たちが捜査を進めると、被害者には13年前の未解決事件で重要参考人となった人物との接点が浮かぶ。現在の殺人を調べていたはずの捜査が、過去の事件を呼び戻す。作品紹介
残酷な現場に果物がある。その取り合わせが、犯行を単に凶暴な行為として片付けることを難しくする。何者かが何かを伝えようとしたのか、それとも、見る側が意味を読み込みすぎているのか。林檎を見た瞬間、現場は「何が起きた場所か」に加えて、「誰が、どう見られることを想定した場所か」という問いを帯びる。目立つ手がかりには注意を引く力があるが、その目立ち方だけを信じてよいわけではない。
ここで、林檎をすぐに罪や誘惑の象徴と決めてしまうと、捜査より先に解釈が走ってしまう。ありふれた物だからこそ、置かれた場所と人物との関係を確かめる必要がある。象徴の意味を当てる謎解きに急がず、物と人を一つずつ結び直していく。そこに、この小説を警察小説として考える面白さがある。
13年を隔てた事件は、同じ形では戻ってこない
捜査には、果物だけでなく電子部品という手がかりも現れ、凍結事案捜査班は新たな白骨遺体の発見へと進む。現在の現場にある物、過去の重要参考人、時間を経た遺体。それぞれの情報をつなぐことで、13年前の事件を捉え直すことになる。書籍の内容説明
白骨という姿は、人が生きていた時間と、発見されるまでに過ぎた時間を、一度に突きつける。刑事にとっては身元や経緯を調べる対象でも、その人に関わっていた誰かにとっては、失われた生活の一部だ。遺体が見つかったことを、ただ捜査が前進したという一文で済ませることはできない。事実が増えるほど、その事実を待っていた人の時間も問題になる。
十三年前の事実を確かめるにも、現在から調べるほかはない。残った物と変わってしまった状況を突き合わせる、その時間差が再捜査の難しさになる。
藤木は、立ち直ったから他人を理解できるのか
藤木は、妻を亡くし、仕事への意欲を失っていた刑事だ。前作『時の呪縛』の捜査を通じて、刑事として働く意欲を取り戻してきた。本作は、その変化を出発点にしている。傷ついた主人公が元通りになり、次の事件へ進む、という単純な区切りではない。担当編集者による紹介
大切な人を失った経験は、他人の苦しみに気づくきっかけになり得る。しかし、同じ喪失を知っているから相手のことも分かる、とは限らない。自分の経験が強くなりすぎると、相手の事情を自分の物語へ当てはめてしまうこともある。藤木を見る際には、悲しみを経験した人物だから正しい、と先に信用し切らず、他人の話をどこまで聞けるかに注目したい。
これは、捜査の能力と人間的な再生を切り離さず、しかも混同しないための読み方でもある。仕事へ戻ることが、悲しみがなくなった証拠になるわけではない。むしろ、なくならないものを抱えたまま、他人の事情を調べる責任を引き受けていく。その継続として藤木を捉えると、続編であることに意味が生まれる。前作の変化が、本作の人物を完成させてしまわないからだ。
家族を支える時間は、本人の人生でもある
本作をめぐる読者の感想には、介護やヤングケアラー、つまり家族の世話を担う子ども・若者の問題への言及がある。この点を手がかりにすると、事件の年月だけでなく、家族のために使われていく時間にも目が向く。誰かを支えたという事実は、外からは美しい行為に見えても、それだけで本人の事情を説明し尽くせない。関連する読者評
家族を大事にすることと、家族の世話以外の選択肢を持てないことには、隔たりがある。人を支える役割を引き受けるうち、自分が何を望んでいたかを考える時間まで失われるとしたら、その負担を献身という言葉だけで称えるのは危うい。感謝されることと、自由に選べることも同じではない。他人の人生を理解するには、何をしたかだけでなく、何を選べなかったかを考える必要がある。
題名に残るのは、過去の像と現在の人とのずれ
『時の残像』を考えるうえで重視したいのは、十三年前に何があったかという問いだけではない。当時の出来事が、その後の誰かの選択をどう狭めたのか。周囲は何を知ったつもりになり、何を見てこなかったのか。捜査で過去を明らかにすることは、昔の出来事を正しい順に並べることに加えて、現在の人間関係を捉え直すことでもある。
一度知ったつもりになった人のことを、改めて知るのは難しい。昔の印象は分かりやすく、今の複雑な事情より先に思い浮かぶ。だが、その印象の中に相手を閉じ込めてしまえば、目の前にいる人まで過去の人物にしてしまう。「残像」という言葉から私が考えるのは、そのずれだ。藤木たちの再捜査を追うときも、手がかりから人物を決めつける速さより、いったん持った見方を改められるかに注目したい。
『時の残像』を読む・聴く
広告・書籍紹介
『凍結事案捜査班 時の残像』は麻見和史著、文春文庫、384ページ。2024年12月4日発売のシリーズ第2作だ。前作の読書ノートは『時の呪縛』の記事にまとめている。
Audible版もあり、朗読は岡井カツノリ。音声で物語を追いたい場合は、Audible版『時の残像』の作品情報へ。
文責:ライターズラボ編集部。情報確認:2026年10月21日。
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