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2026年5月28日(木):初投稿
動画(五街道雲助)
白銅(はくどう)とはどんな噺か
「白銅」(はくどう)は江戸落語の廓噺・滑稽噺。正式題は「白銅の女郎買い」、別題に「五銭の遊び」がある。「白銅」とは明治期に発行された五銭白銅貨のこと。吉原の女郎屋前で片手を見せて五十銭と誤解させ、五銭で上がってしまうという小咄系の短い噺で、五代目古今亭志ん生が特に得意とした。
1941年(昭和16年)10月30日、禁演落語53演目の一つとして浅草のはなし塚に葬られた。1946年(昭和21年)9月30日の「禁演落語復活祭」で解禁後、志ん生が十八番として演じ続けた。
あらすじ
男が連れに「昨日は五銭で女郎遊びをしてきた」と話し始める。昨日は二銭しか持っていなかったので外に出てもしようがないと家でごろごろしていたところ、母親に馬道まで無尽に行ってきてくれと頼まれた。その無尽の花割り(抽選)で五銭が当たり、手元が七銭になった。
浅草の瓢箪池まで来ると、懐に七銭あると思うと足が勝手に北へ北へと向かっていく。見世に上がれる懐具合ではないが、しばらく行っていないから顔だけ見せて女を安心させてやろうと、吉原へ足を踏み入れた。
ある女郎屋の前を通ると、後ろから声がかかった。二十四、五の女で、二日続けてお茶を引いた(客がつかなかった)から今晩くらい客を取らないと御内所から怒られる、どうしても助けてほしいと言う。金がないと言うと、「どのくらいなら有るのよ」と聞いてくる。五銭とは言えないので、片手を出してこれくらいと示すと、女が少し考えてから「なら、お上がりよ」と言った。
二階に上がり、腹が減ったので何か食わせてくれと言うと、この時間では注文もできないからと、廊下から台所の残りのお鉢を持ち込んでくれた。おかずはと言うと「贅沢を言わないで梅干しを食べていると思って食べな」と言われ、酸っぱい唾で飯をかき込む。
寝ようとしたところへ若い衆の松どんが来て、宵勘だからと代金を催促した。「ハイよ」と五銭を投げると、女が「足りない分は私が足すから文句を言わないで承知しな」と言うのを「承知も何も、五銭だけですよ」と若い衆が言う。女がじっと男の顔を見た。
「片手を出したじゃないか」
「そうだよ。五銭だから」
「まあ、五銭でよく女郎屋の敷居をまたいだね。その上、飯まで食べて……。あなたは面の皮が厚いね」
「俺は薄くは無いよ」
これがサゲ。「面の皮が厚い(厚かましい)」という言葉に「皮が薄い・厚い」という意味で切り返す地口オチである。
解説
噺の仕掛けは「片手を見せる」という一点にある。指五本を広げた手が五十銭にも見えるし五銭にも取れる。女が五十銭と踏んで引き受け、後でだまされたと知るという構造だが、オチは怒りや追求ではなく「面の皮が厚い」という言葉遊びで軽く締められる。怒りでなく呆れ、追求ではなく言葉の遊びで終わらせることで、噺全体に湿っぽさがなく小気味よい。
「白銅」は明治30年(1897)から昭和8年(1933)まで製造された五銭白銅貨(直径20.6mm、白銅製)のこと。五十銭銀貨とは大きさも色も異なるが、薄暗い廓の灯りの下でちらりと見せれば勘違いを誘える、というのが噺の前提にある。戦後は「五銭の遊び」という演題でも演じられたが、五銭という貨幣が廃止されたために現代では実感が湧きにくく、演者が工夫を要する演目となっている。
「無尽」は江戸時代から続く庶民の互助金融制度で、近所の仲間が月一度集まって積立を行い、急に金が必要になった者に融通するもの。その積立金の利息を「花割り」という抽選で還元する。山梨県では現在も根強く続いているという。この無尽でたまたま当たった五銭が吉原通いの元手になるという導入が、この噺の貧乏人の哀愁を笑いに変える効いた仕込みになっている。
五代目古今亭志ん生(1890〜1973)にとって、貧乏噺と廓噺は実体験の裏打ちがある十八番の領域だった。借金まみれの放蕩生活を経て名人の域に達した志ん生にとって、五銭しか持たずに吉原へ向かう男の心理は他人事でなかったはずで、それがこの軽い噺に妙なリアリティと可笑しみを与えていた。
関連演目
同じ禁演落語53演目の廓噺として、文違い・明烏・五人廻し・付き馬が代表格として知られる。同じく「最低限の金で廓に乗り込む」噺として「磯の鮑」との対比も面白い。磯の鮑の与太郎が「隠居に教わった台詞を言い間違える」という能動的な失敗に終わるのに対し、白銅の男は「片手を見せる」という受動的な詐欺まがいで乗り切るという違いがある。
文責:ライターズラボ編集部(2026年5月28日(木)執筆)

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