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★立川志の輔/踊るファックス

立川志の輔

※任天丼まりおによる踊るファックス

立川志の輔『踊るファックス』ネタバレあらすじ:間違いFAXが、薬局一家を巻き込む大騒動になる

立川志の輔の『踊るファックス』は、ファックスという通信機器を使った新作落語である。今見るとファックス自体に時代を感じるが、この噺の本質は古びていない。要するに「間違って届いたメッセージに、どこまで関わるべきか」という話だからだ。現代なら、誤送信メール、LINEの送り間違い、DMの誤爆に置き換えられる。

舞台は、町の薬局である。吉田薬局の主人は、クリスマス・セール、あるいは年末年始のチラシ用のキャッチコピーを考えている。印刷所に急いで原稿を出さなければならない。ところが、いい文句が浮かばない。「年に一度の新春セール」では当たり前すぎる。「胃薬から浣腸まで」では品がない。「おせちに飽きたら薬もね」などと、どうにも冴えない案ばかりが出てくる。複数のあらすじ紹介でも、薬局の主人がチラシの文句を考えているところへ、間違いファックスが届く。

そこへ、女房が血相を変えてやって来る。

「あなた、マミコって誰?」

主人にはまったく身に覚えがない。女房は、いま届いたファックスを見せる。そこには、女の名前らしき「マミコ」とともに、薬を飲んで死ぬ、というような不穏な内容が書かれている。紹介されている粗筋では、「もう薬で死ぬわマミコ」という趣旨のファックスが届く場面が核になっている。

ここで最初の笑いが生まれる。

薬局に「薬で死ぬ」というファックスが届く。しかも差出人は知らない女性。女房からすれば、夫の浮気相手かもしれない。主人からすれば、まったく知らない相手である。だが、内容が内容だけに放っておけない。もし本当に相手が薬を飲んで死んでしまったら、最後にファックスを受け取ったのが自分たちの薬局だった、という話になりかねない。

そこで主人は、相手に返信する。

「あなたは番号を間違えてファックスを送っています。もう一度、番号を確かめて送り直したほうがいいと思います」

さらに、薬を飲んで死ぬのはいかがなものか、というような余計な一言まで添える。これは一見すると親切である。しかし、ここから事態はこじれる。

しばらくすると、またファックスが届く。

相手の女は、礼を言うどころか怒っている。「あなた、見たのね。人のファックスを勝手に読んだのね。のぞき見なんて最低」という趣旨の抗議である。ここが、この噺の最初の転倒である。間違えて送ったのは相手のほうだ。受け取った側は、むしろ親切で知らせてやった。ところが、相手は「読まれた」と怒る。

女房は、もう関わらないほうがいいと言う。これは現実的な判断である。危ない相手かもしれないし、家庭に火種を持ち込むだけだからだ。

しかし主人は引けなくなる。

「失礼なことはしていない」ということだけは言ってやらなければ気が済まない。ここから、ファックスのやり取りは「命に関わるかもしれない連絡」から、「どちらが失礼か」をめぐる子どもの喧嘩に変わっていく。

この変化が『踊るファックス』の中心である。

最初は、相手を心配していた。ところが、相手から責められた瞬間、目的が変わる。相手を救うことではなく、自分の正しさを証明することが目的になる。人間の小ささが、非常にうまく出ている。

主人はさらに返信する。「そちらが間違えて送ったのだから、こちらがのぞき見したわけではない」という趣旨で反論する。すると相手もまた言い返してくる。やり取りはどんどん感情的になり、薬局の主人も熱くなっていく。

やがて言葉は荒くなる。

「死ぬなら薬はいくらでもあるぞ」というような、薬局の主人としては絶対に言ってはいけない方向へ話がずれていく。相手は相手で、「薬屋でもないくせにふざけるな」と返してくる。そこで主人は、自分の店が薬局であることを言い返す。「うちは吉田薬局だ」と名乗ってしまう。粗筋紹介でも、このあたりの応酬がエスカレートしていく流れが示されている。(楽天ブログ)

この時点で、主人は完全に巻き込まれている。

本来なら、最初の一通で終わらせるべきだった。番号が違います、と伝えれば十分だった。ところが、相手の言葉に腹を立て、自分の正しさを証明しようとして、どんどん深入りする。結果として、店名までさらしてしまう。

しかも、ファックスは家庭内だけで完結しない。チラシの印刷所、家族、周辺の人間まで巻き込まれていく。薬屋一家からチラシ業者まで巻き込んだバラエティ豊かな作品。

ここで重要なのは、ファックスという道具の性質である。

ファックスは、電話のように声で相手の温度が分かるわけではない。手紙ほど落ち着いて書くものでもない。紙が突然出てくる。送られてきた文章だけが、物理的に目の前に残る。だから感情がこじれやすい。相手の顔が見えないまま、文字だけで怒りが増幅する。

現代で言えば、これはSNSやメッセージアプリの口論にかなり近い。

最初はちょっとした確認だったはずが、相手の一言に引っかかる。「その言い方はないだろう」と思う。「いや、そっちが悪い」と返す。すると相手もさらに強く返す。気づけば、もともとの問題は消え、プライドのぶつけ合いだけが残る。

『踊るファックス』は、ファックス時代の噺でありながら、構造は完全にネット時代の炎上である。

やがて、マミコの父親が薬局を訪ねてくる。

ここで話は急に別の角度を持つ。マミコは、何かあると「死んでやる」と言うような、情緒の激しい娘として語られる。父親は、娘のことで苦労している。しかし、今回のファックスの騒動には、思いがけない効果があった。マミコは、薬局とのやり取りを通じて、逆に生きる方向へ気持ちを向けたらしい。紹介されている粗筋では、マミコが「生きて生きて生き抜く」と力強く書いていることを父親が見て感動し、ファックス番号を頼りに薬局を訪ねてくる流れになっている。

つまり、薬局の主人の余計なお節介、怒りに任せた返信、どう考えても危なっかしいファックス合戦が、結果的にはマミコにとって「薬」になった。

ここがオチの効きどころである。

薬局は本物の薬を売る場所である。しかし今回、マミコに効いたのは薬そのものではない。間違いファックスをきっかけにした、奇妙なやり取りである。まともな励ましではない。丁寧なカウンセリングでもない。むしろ失礼で、感情的で、途中からは喧嘩に近い。それでも、相手の心を動かしてしまうことがある。

最後に父親は、娘は大丈夫かと問われて、「今度こそいい薬になりました」という趣旨で返す。薬局を舞台にした噺として、このサゲはよくできている。薬ではなく、言葉のやり取りが薬になった、という回収である。

解説:この噺の面白さ

『踊るファックス』の笑いは、三つの段階で作られている。

第一に、誤送信の不条理である。自分には関係ないはずの重い内容が、突然家に届く。しかも薬局に「薬で死ぬ」という内容が届く。設定そのものが、すでに皮肉になっている。

第二に、善意の変質である。最初の返信は、相手を心配しての行動である。ところが、相手に責められた瞬間、主人の中で目的が変わる。人助けではなく、自己弁護になる。ここが非常に人間臭い。

第三に、道具が騒動を大きくする構造である。ファックスは、相手の顔が見えない。だから相手を勝手に想像する。文字だけが出てくるから、余計に腹が立つ。返信できてしまうから、つい返してしまう。この「すぐ返せるが、相手は見えない」という性質が、騒動を加速させる。

志の輔の新作落語は、こういう日常の道具の扱い方がうまい。ファックスという機械を珍しがっているだけではない。人間は新しい道具を手に入れると、便利になる一方で、別の形の面倒も抱え込む。その面倒を笑いにしている。

現代的に読むなら

今の読者には、ファックスそのものは古く見えるかもしれない。だが、噺の構造は古くない。

これは、誤送信されたLINEを読んでしまった話でも成立する。間違って届いたDMに返信したら、相手が逆ギレしてきた話でも成立する。メールのCCミス、SNSのリプライ、グループチャットの誤爆でも同じだ。

問題は通信手段ではない。

問題は、人間が「自分は悪くない」と思った瞬間に、話をややこしくすることだ。

吉田薬局の主人は、最初から悪人ではない。むしろ親切である。しかし、相手に責められると我慢できない。そこから、相手を救うより、自分の正しさを通すことに夢中になる。ここが笑えるし、同時に少し痛い。

現代の炎上も、かなりの部分はこれに近い。最初の論点は小さい。だが、「見たのか」「失礼だ」「そっちが悪い」「いや、こっちは悪くない」と応酬しているうちに、話がどんどん大きくなる。『踊るファックス』は、ファックスという古い機械を使って、その普遍的な滑稽さを描いている。

志の輔らしさ

この噺の志の輔らしさは、日常の小さな技術を、家庭と社会の騒動に変えるところにある。

薬局のチラシ作りという地味な状況。新しく入ったファックス。間違って届いた一枚の紙。そこから、夫婦の疑念、相手女性との喧嘩、業者や家族の巻き込み、そして思いがけない救いまで展開していく。

しかも、登場人物の誰も完全には賢くない。主人は親切だが短気。女房は現実的だが疑い深い。相手のマミコも感情的。父親は娘に振り回されている。全員が少しずつ面倒で、少しずつ可笑しい。

この「誰も悪人ではないが、全員が少しずつ話をこじらせる」構造が、志の輔落語の強みである。

まとめ

立川志の輔『踊るファックス』は、間違いファックスから始まるドタバタ落語である。しかし、ただの通信機器ネタではない。

一通の誤送信が、薬局の主人の善意を引き出し、次に怒りを引き出し、最後には相手の生きる気力まで引き出してしまう。そこに、この噺の面白さがある。

ファックスは、ただ紙を送る機械ではない。この噺では、人間の感情を運び、誤解を増幅し、家庭を揺らし、最後には思いがけない形で人を救う装置になる。

『踊るファックス』という題名もよくできている。踊っているのは機械ではない。ファックスに振り回されて、右往左往している人間たちである。

そして、その人間たちの滑稽さは、今の時代にもそのまま通じる。ファックスがLINEに変わっても、メールに変わっても、SNSに変わっても、人間はたぶん同じように踊る。誤送信に腹を立て、返信しなくていい返事を送り、自分の正しさを証明しようとして、さらに面倒を広げる。

だから『踊るファックス』は、古い機械を扱った古い噺ではない。通信手段が変わっても変わらない、人間の小さなプライドと余計なお節介を笑う噺である。

コメント

  1. 森 さとみ より:

    管理人者様

    初めまして、森と申します。
    志の輔さんの「踊るFAX」をもう一度聴きたくご連絡させていただきました。
    同じ噺の、新年バージョンは他のサイトで見つけられたのですが、私はこちらのクリスマスバージョンがとても好きで、もう一度聴くことが出来ましたら大変嬉しく思います。
    不躾なお願いで恐縮ですが、再度、こちらを閲覧可能にしていただくことは可能でしょうか?
    ご検討いただければ幸いです。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    森さとみ

    • rakugochan より:

      コメントありがとうございます。
      共有リンクが切れていましたので、YouTubeにアップされていたものを共有させていただきました。(2021年06月13日(日) 07:30)

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