★【コラム】崇谷(すうこく)

コラム

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現在、演じ手がなく聴くことが出来ない貴重な噺。

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あらすじ

英林斎藤原崇谷は、水戸藩に仕えた名高い絵師。今は浪人して本所の原庭できままな暮らしをしている。
変人で、大名が千両積んでも描かないのに、近所の子供の頼みに気さくに描いてやるという具合。
雲州侯松平出羽守の命を受けて、中村数馬という若侍が、若君の初節句に墨絵の鍾馗を描いてくれるよう頼みに来た。

それがちょうど一杯やって気持ち良く寝入ったところを起こされたからたまらない。
すっかりへそを曲げた崇谷は、数馬を殴って瘤だらけにした上、出羽守じきじきに来いと言いたい放題。
数馬は斬り捨てようかとも思ったが、ぐっと我慢して主君に報告すると、出羽守少しも怒らず、もう一度頼んで来いと言う。

翌日訪ねると、やはり飲んだくれて、大名は嫌いだと言う。自分が切腹をしなければならないと脅したが、自分の弟子が切腹する時のお手本にするから見せろと言う。とうとう降参した数馬が再度嘆願すると、やっと忠心に動かされ、酒を飲みながら赤坂の屋敷へ出掛けた。

こんな男だから、殿様の前へ出ても挨拶の途中で寝てしまうが、出羽守が礼儀正しく事を分けて頼むと、茶坊主に墨をすらせ、その顔を硯代わり、筆でなく半紙の反故紙で書き始めた。無造作に書きなぐったのを三間離れて見ると、右手に剣、左手に鬼の首をつかんだ見事な鍾馗。感心した殿様が今度は草木のない裸山を四季に分けて描けという無茶な注文を出したが、これにも見事に応える。

さすがは名人とほめられて、浴びるほどに酒を振る舞い、

「素人は山を描くのが難しいと申すが、画工でも同じか」

「私は何を描いても同じですが、裏の七十余歳の爺は難しいと申しています」

「ほう、その者も画工か」

「いや、駕籠かきです」

 

解説

1703年(元禄16年)『軽口御前男』の「山水の掛物」は、須磨という腰元が雪舟の掛け軸を見て涙をこぼすので訳を尋ねると、
「私の父も山道をかいて死にました」
「あなたの父親も絵描きですか」
「いえ、駕籠かきです」
というもの。

1773年(安永2)『飛談語』の「金沢」は、金沢能見堂を見て絶景に驚き、
「金岡(平安時代の画家・巨勢金岡)がとてもああは描けないと筆を捨てたのも無理はない」
と言うと、駕籠かきが
「私どもは箱根がかきにくうございます」というもの。

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崇谷(1730~1804)は町絵師。
「屠龍翁」「楽只斎」「湖蓮舎」「翆雲堂」「曲江」などの号を持つ。
噺の中に出る「英林堂」というのは不詳。浅草観音堂の鵺(ぬえ)の額絵は有名。

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